前回の続きで、パンチから学んだことについてお話ししたいと思います。 前回はお猿の色覚能力について触れました。市川市動植物園の飼育員さん達が水色(青色)のユニフォームを着ているのは、動物達の色覚に合わせたものなのでしょうか。存在や立場をはっきりと認識してもらうことで、お互いの身を守るための「関係性の境界線」を明確にしているのだろうかと素人ながらふと考えました。
その身の守り方ですが、猿山のお猿達を見ていると、時折飼育員さんを威嚇することがあります。 餌を運んでくれる上位の存在だと認識しているとしても、攻撃的になる理由が彼らなりにあるようです。これはペットでも見られることで、最初から人間を安全だと信頼できるわけではないと思われます。未知の存在に対して「危険か安全か」を慎重に見極めようとするのは、ある意味でリスク管理能力が高い、有能な防衛本能だと言えるのでは。 だからこそ飼育員さんたちも、威嚇に威嚇で返すのではなく、毅然とした立場を示すことで関係性をはっきりさせているのだと思います。そうでなければ、双方にとって危険な遭遇になってしまうからです。
これは、人間の家族関係にもどこか通じるものがあります。 愛おしい家族であっても、安心できる環境が成り立つためには、お互いの役割や健全な関係性のバランスが重要です。「誰が稼いでいるから偉い」「誰が従順でなければならない」といった条件付きの支配・隷属関係のようになってしまうと、家庭内は安心していられる場所ではなくなってしまいます。一人ひとりが役割と責任、そして愛情を全うし、無条件の安心感を与え合うことで、初めて家族の絆が紡がれていくのではないでしょうか。
お猿の群れの中にも、独自の掟やシステムが存在し、彼らはそれを生きていく中で学んでいくのでしょう。きっと、その環境が「当たり前」だと思って育つのです。 人間も同じように、どのような親のもとで、どのように育てられるかによって、「家族とはこういうものだ」「私はこう生きていくべきだ」というその家族独特の文脈を認識していきます。
しかし、何も変わらない日常生活を送っているつもりでも、突然理不尽な怒りや体罰をぶつけられてしまう環境に置かれる子どもたちがいます。子どもは多くの場合、「自分が良い子じゃなかったからだ」「もっと従順に振る舞えばよかった」と、自分を責めることで理由を探そうとします。いつ怒りが向けられるか分からない恐怖のなかで、ただ従順になることしか選べなくなっていくのです。
とてもセンシティブな問題ではありますが、パンチがなぜ攻撃されるのかを考えるた時に、同時に「なぜ攻撃する側は、攻撃せずにはいられないのか」という背景にも目がいき、これは人間も然りだと思ったのです。「攻撃されないようにするにはどうするか」という原因探し(因果関係論)では短期的に考えるには必要要素ですが、根本的な解決にはなりにくい。
もちろん、人間社会において「虐待(abuse)」は絶対に許されることではなく、最も弱い立場にある者(子どもたちなど)を守ることが最優先であることは譲れません。その上で、なぜその親が加害に及んでしまうのかを客観的に見つめ、何が解決策になるのかを考えていく必要があります。「子どもを第一に守る目線」と、「問題を抱えた親をどう助けるかという目線」は、一つの家族のことでありながら、決して一緒くたにせず、別々の視点から考えていく作業です。
現代の医療や教育現場にチームがあるように、深刻な問題を抱えた家族には、それぞれの立場を冷静に受け止め、連携し、適切な境界線とサポートを提供する「チーム家族」のようなアプローチが求められているように感じます。それぞれのニーズに合わせた目線(それに対応する様々なサポートシステム)を持ちながら短期と長期のゴールを共有し、最終的には家族全員が救われるような取り組みです。
お猿の群れを見守る中で、私たちパンチファンも、どこか遠くからその平穏を願う「チームパンチ家族」の一員のような温かい眼差しを持っていたいな、と思えてなりません。


