サードプレイスという選択:コナンくんとパンチに学ぶ対話のヒント――「真実は一つ」のその先は。

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私は毎日、

お猿のパンチの動画

がアップされるのを心待ちにしています。

一日の終わりのご褒美の時間ですが、

ふと気になることがあります。

それは、

多くの人達が同じ映像を見ているはずなのに、

コメント欄に並ぶ感想が実に多様だということです。

「人それぞれだから当たり前」

と言えばそれまでですが、

心理師である私には、

これを「当たり前」

だけでは終らせられないのです。

ここで浮かんでくるのが、

心理学における

「心的現実(しんてきげんじつ)」

という概念です。

この言葉を考えるとき、

私はいつも

名探偵コナンの有名な決め台詞

「真実はいつも一つ!」を思い出します。 

 実は、コナンくんが作中で鮮やかに解き明かしている

「一つの真実」とは、

客観的な事実やデータそのものではないと思うのです。

むしろ、

「その人がなぜその行動をとったのか」

という背景や動機、

つまり「その人にとってのナラティブ(物語)」

こそが、彼がたどり着く真実なのではないでしょうか。

一方で、

同じ出来事を前にした私たちの心の中にある

「心的現実」は、決して一つではありません。  

パンチのコメント欄は、

まさにそのことをそのまま教えてくれています。

例えば、

雷がゴロゴロと鳴っている時や、

カラスが近くでカーカーと鳴いた時、

パンチが咄嗟にキーキーと声を上げながら走り出す

ことがあります。

それを観て、

私たちは

「きっとパンチは雷が怖いに違いない」

「カラスに驚いたのだろう」

とそれぞれの憶測を述べます。

その上で、

「かわいそうなパンチ」

「助けてあげられないのが辛い」

といった言葉がコメント欄に溢れるのです。

実際のパンチにとっての現実

はパンチにしかわかりませんが、

私たち人間がどのような感想を持っても、

それをその人自身の「心的現実」

として捉えるならば、

何が正しくて何が間違っているということはないわけです。

周囲の心的現実がどうであれ、

飼育員さん達は、

お猿の習性や性質といった知識、  

また日々の身近な観察・体験に基づいて、

必要な対応をされていて、

私自身もそれを全面的に支持しています。

しかし、

これが「人間同士の関係」となると、

厄介な問題になりがちです。

私たち人間も、

無意識のうちに多くの

非言語コミュニケーションを発しています。

受け手はそれを自分自身の「心的現実」

というフィルターを通して、

「この人はきっとこう考えているはずだ」

と(良く言えば慮って)答えを出します。

そして後から、「そんなつもりじゃなかったのに」

「そんなこと言っていないのに」と、

お互いの 齟齬(そご)に気づくのです。

実は、

その齟齬に気づけること自体、

とても幸運なことです。

人間には「言葉」という素晴らしいツールがあります。

対話を通じて相手の心的現実に触れたとき、

「あなたはそう捉えたのね」

と受け止めることができます。

これは、相手の言い分に賛同したり

共感したりすることとは違います。

相手を否定することなく、

「あなたの世界ではそれが現実」

と、ただそのまま受け止めるということです。

正直なところ、

これは現代を生きる私たちにとって、

私自身も含めて決して簡単なことではありません。

私たちはつい「自分の現実」

を正解だと思い込み、

相手にもそれを求めてしまうからです。

お互いの心的現実を、

否定されずに

「ただそのまま受け止めてもらえる存在・場所が、

現代を生きる私たちには必要です。

それでも、

パンチへの愛し方が人それぞれであるように、

誰かの心の中に広がるナラティブは

すべて等しく興味深いものです。

コメント欄に溢れる多様な「心的現実」

が、根底にあるパンチへの温かい愛情

から紡ぎ出されていると思うと、

今日も動画を観る時間が一層楽しく、

また意味深いものに感じられます。