誰かにどう思われるかを気にし、
自分を隠し、
呼吸のタイミングまで他人に合わせてしまう。
そんな毎日は、どれほど息苦しいことでしょう。
アメリカの大学院にいた先生が、
よくこう言っていました。
“Put yourself in his or her shoes.”
「その人の靴を履いてみなさい」
——相手の立場に立ち、
どんな体験をしているのか、
どんな景色を見ているのかを想像すること。
思いやりの原点とも言える言葉です。
けれど、これができるのは、
自分の足でしっかり立っているからです。
相手の気持ちになりきることでも、
相手に合わせて自分を消すことでもない。
まず、自分という足があること。
それが前提です。
ところが気づかないうちに、
靴を履くどころか、
自分が”靴そのもの”になってしまうことがあります。
「この人にはこの柔らかさが必要だろう」
「この人にはこの硬さがちょうどいいだろう」
と、履く人に合わせて自分を変え続ける。
オーダーメードどころか、
特注品を作り続けて、
原価割れしている状態です。
そうしているうちに、
自分という足と靴との境界がわからなくなっていく。
嫌われたくない。
相手に喜んでほしい。
その気持ちはとても自然なものです。
けれどいつの間にか、
主語が「自分」ではなく「相手」になっている。
相手が何を望むか、相手にどう映るか。
それだけを基準に動いていると、
思いやりのはずだったものが、
じわじわと自分を苦しめていく。
その他人軸を手放そうとすると、
今度は不安になる。
では自分軸に戻ればいいかというと、
そもそも「自分は何がしたいのか」
「自分はどう思っているのか」
がわからない。
長い間、
自分を後回しにしてきたから。
そんなとき、
ふと浮かぶのが
「ああ、一人になりたいな」
という感覚ではないでしょうか。
それは、誰かを拒絶したいのではない。
ただ、
自分という足の感覚を取り戻したい。
静かに、自分に戻りたい。
そういうことなのだと思います。
LDCは、
その時間を持てる場所です。
誰かのための自分ではなく、
自分のための自分に戻る時間。
「今日はLDCに行ってくる」
と家族に言ったとき、
見守る側も安心できる場所でありたいと思っています。
自分の足の形を知ること。
どんな歩き方が自分らしいのかを探すこと。
その小さな積み重ねが、
いつか誰かと本当の意味でともに歩く力になると、
私は思っています。


