年々、心理師として、またライフコーチとしても、
家族療法について学術的にも臨床的にもより学ぶ必要性を感じています。
家族といっても定義は一つではないわけで、
自分の思う家族がお隣の人と同じとは限らないという現実自体に、
まずは「なるほど」な時代となったわけです。
個々に家族の形態がありますし、
文化や習慣、男女間(性別はこれだけに及びません)、
そして当然、老人も子どもも含まれるわけです。
一概に「家族」と言っても、
幅広い領域にまたがっていて、
家族やカップルのセッションには、
奥深い側面があるのだと思います。
それぞれの家族に、それぞれの形がある中で、
大概、セッションを利用される方は、
ある問題を抱えていて、
それをどうにか克服したいという理由からが多いです。
どうしてこうなってしまったのか、とか、
何が間違えていたのか、とか、
何が正解なのかなどといった問いかけで満ち溢れています。
自分は何も悪くない、相手が直さなければ解決しない、とか、
私が悪いのだから、私が直せばいいのだろうけれど、
何をどうしたらいいのかわからない、とか、
よく出てくるスタート時の言葉です。
双方に理解し合えないのだけれど、
何か間違えていると捉えていて。
片方が、または両者に問題があって、
その問題がわかっている場合とわからない場合があります。
いずれにしても、なんらかの問題が二人の間にはあって、
それをどうにかしないと解決しない、
お互いに救われないという考えなわけです。
確かに、警察や法廷では、問題が起きた場合に、
その問題の犯人は誰かを推測し、探し出し、
その容疑者に証拠を突きつけるわけです。
どんな問題にも、必ず犯人はいると考えるのだと思います。
ですが、セッションでは、犯人探しはしませんし、
そもそも犯人はいないのです。
問題は起きていたとしても、
その問題を引き起こしているのは、
必ずしも人とは限らないし、
原因を探しても、断定できないこともあります。
そして、本当に犯人はいません。
セッションでは、犯人探しではなく、
まずは双方の肩の力を抜いて感情を手放すことができるかどうかが、
最初の重要なポイントになります。
親子の場合もカップルであっても、
個々にもつ価値観から始まって、
習慣、感覚、また教育や境遇が違っていることがあるため、
双方が一つの問題を同じ目線で捉えているのか、
ずれていることはないかを話し合います。
その中で、実は目の前の問題にこだわりすぎて、
一人の人間の全体像が見えなくなっていることの方が、
大きな問題になっていたりします。
割と多くは、相手のことを誤解していたり、
勝手に決めつけて、
こうに違いないと未確認の推測によって結論づけてしまっています。
双方でじっくりと会話をすればいいわけですが、
これがまた親子・夫婦間だと、言わなくてもわかるでしょ!
という相手に対する甘えであったり、
親子なんだからそれくらいわかるよねという期待が大きくなってしまう。
カップルであれば、こう言われてきたから、
きっとこうに違いないと確認することなく、
相手がこういう人だと、よく言えば慮って、
はっきり言うと決めつけてしまうことが多々あります。
色々言い合って益々状況が悪くなるくらいなら、
自分が我慢すれば、とか、
相手はこういう人だから、
何を言っても仕方がないと諦めていたり。
相手からすると、言ってくれないからわからないし、
どうせ何度言っても同じことの繰り返しでいい加減わかってほしいという
不安からくる怒りが湧いてきたり。
それでは、悪いところばかりを責める会話になってしまい、
公平に話すことができません。
そのため、ひとまず問題から離れることで、
不確実な見方から離れ、負の側面は置いておくことをします。
親子であれカップルであれ、
相手が大切で愛しい人だからこそ、
問題になってしまうし、
問題を放っておいて(直面しないままでいて)しまうことが多くあります。
とはいえ、問題に向き合うことは必要だし、
問題を解決することができることが望ましいわけです。
その問題解決にとって重要なポイントはいくつかあり、
その問題の内容によって解決策も様々であることは確かだと思います。
しかし、やはり思うのは、
なんでこんな問題が起きたのかとか、
誰が悪いのかとか、
どうしたらこの問題を正すことができるのかという見方だけに偏らず、
二人の間には、問題だけではない、
温かく穏やかな、または明るく楽しい時間もあるだろうということです。
よくいう、
コップに水がこれだけしかないと考えるのか、
こんなにあると考えるのかという観点のように、
問題を嘆くばかりではなく、二人にとって良い面がある、
とか、お互いが幸せだと思える時間や場所や活動などがある、と、
在る方に目を向けること。
欠点を探して、それが問題だから直さなければならないという
解決法に向かうだけではなく、
こんないいところがあって、こんなに大切な気持ちがあるから、
それをどうお互いに活かしていけば良いか、
どう解決策にエッセンスとして取り入れたら良いかを話し合う。
これこそが、セッションにおける、第三者がいる上での、
目線を上げた会話の豊かさであると思っています。
決まった呼び名ではありませんが、
いわゆる「親子セラピー」は、
非常に繊細かつパワフルなセッションとなりやすく、
体験をすること自体、
親子にとって尊い時間になることは間違いありません。
親子間の距離感や温度感、
そして、何よりも気持ちを言葉にして相手を慮ることができる時間、
これらを体感した時に得られるものこそ、
双方の愛情だと思います。
それは、様々なカップルセラピーにおいても、
同様のことが言えると思います。
短い時間ですぐに答えは出ないこともありますが、
コップに入った水の尊さを言葉に変えていく体験が、
カップルや親子、また夫婦の間では、
潤いへと変わっていくと思います。
ただし、時間をかけてその潤いを得るためにも、
LDCのセッションが終わった後は、
セッションで出たお話を責めたり蒸し返したりせず、
お互いを尊重して、今日会話したことが身体に染み渡るまで、
穏やかに過ごしましょう。
それが、一番大切な約束事です。


